明けました!おめでとうございます!
本年も宜しくお願い致します。
昨年は婚約、結婚、そして妊娠があり、今年は出産を控えています。
生きることは大変です。でも苦しいことばかりではない。楽しいこと嬉しいことも沢山ある。
今年の初詣では母子の健康と、仕事での活躍を祈りました。
仕事、なかなか目標が決められない。
マネージャか技術者か。
どっちか、というわけでもない気がする。
これを決めることを今年の目標としようか。
一本の筋を決めること。
基本の習得、どの技術で卓越するかという方針、将来の目標の(一旦の)確定。
これが節目となる今年の目標だ。
基本の習得は4月まで。
どの技術で、は色々な技術を学びながら。
将来の目標も情報収集をしながら。
将来の目標。
ひとつ不安があるといえばある。
趣味。
趣味が楽しくて仕方がない。
自分の内面や身体との対話、人との出会い、対話。
音楽から引き出される新たな自分。
ときどき考える。趣味を仕事にしてはどうか。
しかし、とも思う。そこまでの力は自分にはないのではないか。
子どもだって自分より上手くできる者はいくらでもいる。
別の仕事をしているから続けられているのではないか。
始めて15年。もう自分の人生とは切り離せない気がするのだ。
どうすることもないとも思うが、仕事や家庭と両立できるか?難しいと思う。
限られた時間。その時間を勉強に充てれば違うものが見えるかもしれない。
というかプロフェッショナルとして働いていくためには充てなければならないのではないか。
そんな懸念さえ覚える。
身に詰まされる葛藤。
でも、だからこそ、どちらも真剣にやれるのかもしれないという可能性も、ほんのわずかだが、ある。これも模索だ。
昨年わかったこと。
内面を修正する必要がある。
仕事で初めて言われたことがある。「プロセスが悪い」
はっきり言ってきつかったが、その通りだと思った。救われた思いもある。
なぜならプロセスを改善すれば仕事が改善するということだからだ。
だから相談する。説明をうまくする。責任もってきめ細かく仕事をすることが必要。
というのも仕事の面でこう思われている。
・忘れていることが多い
・やりとりの中で言うことが変わる(相手の言葉の鸚鵡返し)
・相談しない
・説明が長い、不足している
・失敗の反省をしていない(変わらない)
・悪いこと(失敗)を隠す
こう書いているとひどいものだ。本当に仕事を与えられていることが奇跡なんじゃないか。
いいかげんで、適当な自分がもろに出ている。
そんな奇跡には悪いが、これがなぜなのか。その原因を考えると、本当に自分がしたいことなんだろうか、と考える。
人は自分のしたいことをどういう風に決めるのだろうなあ。
自分の仕事はコンピュータに関わる仕事がいいなあと、昔は思っていた。
現代を支える技術に触れられるから。
複雑で最新の様々な技術。
ところが、それは苦難にもなるということを身を以て感じたのは最近。
ずっと勉強し続けることになる。息をつく暇もない。
でも今考えると、怠惰な自分にはちょうどいいのではないか、とも思う。
思えば、外部からの刺激によって勉強を強いられるのも人間には必要なのではないか。
そういう成長の仕方も必要なのかもしれない。
精一杯勉強をしていた大学までの自分でもなく、いまでは趣味となったものに明け暮れた自分でもない。
今年はもっと纏まった自分に。という思いがある。
窪みは埋めて、尖りはより鋭く。
内面から心から自分と世界と向かい合い、変えていきたい。
どういう世界をつくっていきたいのか?
どういう関わり方をしていきたいのか。
もっと良い意味で人と繋がれるようになりたい。
建設的な話をできるようになりたい。
これが今後5年くらいの中期的な目標かな。
短期的にはセミナーとかに行こう。お金を払って。身を切って。
人生は長いけど、短いものでもある。
悔いのないように。いろいろやっていこう。
さて、今年もいいことありますように!